髪・孤独
ちょっといいシャンプー(当社比)(1500円台のもの)を使ってみたけど、根本的な髪質改善にはいたらず……。
というか、そもそもじぶんでもじぶんの髪をどうしたいのかわからなくって、まともに美容院にも行かずに放置してしまっている。ぼさぼさだしうねりもひどいし白髪も目立つ。
ほんとうは縮毛矯正かけてショート~ボブがいちばんすっきりするんだろうけど……。
『定期的に縮毛矯正をかける∕染める』ということがわたしにはむずかしい。タイミングをつかむのが。
(これも発達障害によくある「できるけど疲れる、できないわけじゃないけどむずかしい」ことのひとつなのかもしれない。わかんないけど……。)
わたしは時間感覚がおかしくって。あっというまに2週間~1ヶ月とか過ぎていたりする。
だから『3ヶ月後』『半年後』でぴったりじょうずに動けない。気づいたら7~8ヶ月経っちゃってたりして。
5~6センチ以上伸びちゃったらロング料金になっちゃうんだよね。まあロング料金でも伸びたとこだけやってもらえばいいのか。(←おどろきの発見!)
あんまりコスパのことかんがえすぎると、障害持ちは詰むな。効率をかんがえだすと余計に動けなくなる。
じゃあロング料金は障害手数料ということで……ADHDタックス的な。
でもやっぱお金かかるのがなあ……。
そこまでじぶん(の容姿)というものにお金かける必要あるか?ともおもってしまう。
そりゃ小汚ないよりは小綺麗なほうがじぶんの気分的にもいい。精神衛生的にもそうだし、社会的な生き物である『人間』たるうえでも、身なりは最低限整えたほうがいいのは自明。
しかしその『最低限』のラインがどこにあるのか、わたしにはわからない。
SNSを見ていてかんじるほのかな不快感は『さみしさ』なのかもしれない、とおもう。
わたしはさみしさや孤独をかんじにくいタイプだとおもっていたけど、さいきんそうでもないのかもしれない、とおもうようになった。
とはいえ。根本的にわたしは他人とじょうずにやれないタイプだ。いろんな意味でマイノリティだし。SNSでさえ仲間を見つけられないのなら、社会でだって見つけられる可能性は断然低いだろう。
だからけっきょくわたしのばあい、「他人とうまくやって孤独を解消」することを目指すより、「孤独とうまいこと向き合いやりすごすこと」を目指したほうがいい気がする。
