複雑な胸中(障害者手帳取得した)
きょうは金曜日なので事業所の日。
午前ちゅうはいつものごとく死んでたけど、どうにかちゃんと行けた。
あしたわたしは誕生日なので、事業所のスタッフさんからバースデーカードをもらった。
帰ってきたら母からも誕生日プレゼントをもらって、それからケーキも買ってきてくれてた。
わたしは周りに恵まれてる。ありがたい……。
きのう障害者手帳が届いた。
数か月前に申請していたもの。
予定どおり滞りなく届いて、いつもながら役所のみなさんにはお世話さまです、あざます、というかんじ。
昨晩手帳を受け取って、ほっとした気もちもあったけど、なんとなく気分がたかぶって、ウワーってかんじになって、泣きたいような感覚もした。
じぶんが障害者であることに、これまでは……ふだんはなにもかんじないふりをしていたけれど、やっぱりどこかでちょっと抵抗があった……いや、あるんだとおもう。
じぶんはそんなに弱い人間なんだろうか?っていう疑問もある。
手帳を見せて、保護や介助を受けないと生きていけない人間なのか、ほんとうに?っていう。
甘えてるだけなんじゃないかっておもう。
でもどうにもならなくって、もうほんとうに、助けてもらわなきゃ生きていけないっておもったから、今年になってようやく手帳を申請することにした。
わたしはいまもどこかで、いつかはふつうのひとと同じように働きたいとおもっている。
ちゃんとじぶんのちからで働いて、お金をかせいで、自立した生活をしたい。
でも手帳を受け取って、それはもう無理なんだなって、その最終通告? なんだろう、「(あなたは)もう無理ですよ」宣言というか、そういう宣告?を受けたようなかんじが正直した。
それで、なんかちょっとかなしくなったのだ。
手帳をもらったことで、わたしの生活がいますぐなにか変わるとか、助かるとか、そういうことはあんまりない。
わたしがふだん使っているのはJRで、数駅しか乗らないので、運賃の補助もないし。(JRは相当な距離を移動しないと補助されないらしい)
ああでも、美術館には行きやすくなるかな……でも正直まだちょっと抵抗がある。けっきょく手帳は見せずに一般料金払ってしまうかもしれない。
そもそもそんなに頻繁に美術館や映画に行く元気はない。
ただなにかあったときに(?)障害者であることの証明ができる、という、ほとんどそれだけ。
そういえば、たまにおもう。
ヘルプマークをつけたいような、つけたくないような複雑な気もちがあって。
わたしは過呼吸とか電車やバスや人混みで困る症状はほぼないので、本来はヘルプマークは必要ない。だからつける意味はない。
だけどわたしはたぶん挙動が怪しかったり、なんか障害者っぽい(?)雰囲気というかオーラが出ていそうな気がする。
腕はリスカ(アムカ)痕だらけだし。もう十五年くらいまえの傷なのに、まだぜんぜん目立つ。だからふだんは夏でも半袖を着られなくて。
でもヘルプマーク的なものがあったら……?とか、かんがえたりもして。
いや、厳密には介助や優先や特別配慮が必要とかそういうわけじゃないから、ほんとうはやっぱりヘルプマークはいらないんだけど。
なんだろう……。わたしがほしいのは、「障害者です」マーク?
うーん、わたしはなにが言いたいんだろう。
なにをアピールしたいんだろう。
「障害者です、ごめんなさい」って言いたいような気がする。卑屈すぎるか。なにを謝っているんだろう。じぶんでもよくわからない。
障害者になったことはわたしの責任ではないし、それは仕方ないことだ。
そうおもえればいいんだけど、わたしはそれでもまだどこかで、じぶんのせいなんじゃないかって、じぶんを責める気もちがある。
でももう、どうしていいかわからない。わからないから、手帳を取ったし、わからないから、なんかマーク的なもの?がほしい。
でもそんなふうにアピールするのも、なんかちがう気がするな。
うーん。複雑な胸中。
