ダークアカデミア系音楽・しんどさ
ダークアカデミアと銘打ったプレイリストをSpotifyで聴きながら刺しゅうをする。
ダークアカデミア系プレイリストにはしばしばショパンやラヴェルの曲が含まれる。(あとベートーベンの月光とかね)
これらの音楽にダークというイメージは(少なくともわたしには)あまりないので、たぶんどっちかというと『アカデミア』のほうに分類されるのではないかとおもうが、そのあたり定かではない。
プレイリストの作成者たちは、クラシック音楽にアカデミックな要素を見いだしているのだろうか?
しかしクラシックならなんでもいいかと言えばそうではなくって、マーラーやショスタコーヴィチなんかが含まれることは多分ない。
ダークアカデミアや○○コアのような、比較的あたらしく、ネットで気軽に扱われがちなジャンルによくある傾向だが、よくも悪くもライトさ(明るいではなく軽い)が求められているのだろう。
ショパンやラヴェル、ドビュッシーやサティなど、(すべての曲がそうだとは言わないが)比較的聴きやすい、イージーリスニングのような側面を持つ作曲家(というか曲)たちが好まれている。
誤解をおそれずに言えば、簡単で分かりやすい、readily accessible/approachableな(親しみやすい)音楽である。
芸術に対して、これらのようなことばを使うのは、軽薄かつ不謹慎に映るかもしれない。
でもわたしはざんねんながら、マーラーをお気軽に安楽な気分で聴けるような精神性を持ち合わせていないので、こういう軽さ手頃さは、もろ手をあげて歓迎しがちである。
難解なのはつかれちゃうからね。
死にたいのは障害をこころのどこかで受け入れられていないからかもしれない、とおもった。
まだどこかでふつうのひととおなじようにやりたいじぶんがいるんだよね。
できないことがあまりにも多すぎるのに。できないんじゃない、やらないだけ、(いろいろ事情があって)やれてないだけなんだ、っておもいこみたい。できないことを受け入れられたら、もうすこし楽になるのかもしれないけど。
というか、じぶんの障害をどう受け入れどう咀嚼し、どういうかたちで飲み込めばいいのかわからない。
もうほんとうにすべてがよくわからない。
ただしんどさばかりを日々かんじる。日常的に、すりむいたばかりの傷に塩を塗り込むような、ヒリヒリとした感覚にさいなまれている。
またそういうしんどさをかんじることによって、いっそうメンタルが削られるかんじもする。よくわかんないけど。悪循環。
