秋
ここ数年欧米圏を中心にネットでよく使われる、autumn vibes/fall vibes(オータム・バイブス/フォール・バイブス)ということばがある。
autumnとfallはもちろん秋を意味し、vibesはなんかそれっぽい雰囲気のことを指す。
つまり、『なんか秋っぽいカンジ』という意味の語だ。
このことばをYouTubeやインスタで検索すると、多くの投稿がヒットするとおもう。
わたしも海外の文化にあかるいわけではないので、あまり詳細なことはわからないし言えないのだが、簡単にいうと、秋めいたうつくしいものにエモさを見いだすことだとわたしは解釈している。
厳密な決まりはとくになくって、ただ秋感があってaestheticならなんでもOKというふうに、あいまいさを許容する、よくも悪くも最近のネットにありがちな軽くてふわっとしたジャンルでもある。
ちなみにspring vibesやsummer vibesなどもあるが、秋は特にどこか退廃的で知的あるいは素朴な雰囲気が、べつの人気ジャンルであるダーク・アカデミアやコテージ・コアなどとも相性がいいせいか、はたまたわたしが特別にそういうものが好きなせいで、似たようなものばかりまわってくるのかはわからないが、autumn/fallというのはほかの季節よりも人気な気がする。
なんならvibesという単語なしで、autumnその一言でも通じる概念的なものがあるとおもう。

とにかくこの秋ブームとも言える近年の傾向(?)に、最近のわたしは、ちょっと救われているおもいがしたりする。
というのもわたしは、子どものときから無類の秋色好きだった。アンティークやクラシック、ヴィンテージっぽいものや、くすんだ色や朽ちた雰囲気も大好き。
ほんとうは真っ赤なランドセルじゃなくって、ダークブラウンやキャメル色のサッシェルで通学したかった。
いまでも鮮明に、うらみがましく覚えているのは、小学校での図工の時間のできごとだ。
『わたしの好きなもの』というお題で絵を描けというから、わたしはウッキウキで好きな秋&茶色っぽいものを詰め込んだ。
だけど完成した作品を見た担任は渋面で「もっときれいな色を使いなさいよ」と言ったのだ。
平成初期の教師の辞書に多様性ということばはなかったのだろうし、その教師は『絵に描いたように健やかな小学生』だけがお好みだったのだろう。
なんにせよわたしはけっこうショックだった。(好きなもの描けって言うから正直に描いたのにーーー!!!笑)
このときだけでなく、ほかのまわりのおとなや同級生たちからも、そういう趣味嗜好を理解してもらえることはなかった。
『平成女児』といえば皆、キラキラでふわふわでキャピキャピのものを連想するだろう。
そのなかでわたしは孤独だった。
だけどいま、わたしはひとりではない。
日本ではあまりメジャーではないかもしれないけど、9月に入ってからはじっさいの季節が秋なのもあって、インスタやYouTubeに外国人たちが(一部日本人も)こぞってautumn vibesな(なんか秋っぽい)エモエモな画像や動画を山ほどアップしてくれる。
ほかにも現代のネットには、ダークアカデミアやコテージ・コアにくわえ、グランマ・コアなど、完ぺきにとは言えなくとも、なかなかいい具合にわたしに刺さってくれるジャンル(界隈)が複数存在している。
このことはたぶん、しあわせで、ありがたいことなんだと最近気づいた。
ちいさくとも世界の片隅にでも所属できる場所があるというのは、マイノリティにとっては得がたい幸福である。
こういうのは一時の流行なのかもしれない。
それでも、ようやく世界とわたしが、マッチングしたような心地さえする。
なんだ、みんなそういうの好きだったんだ。わたしだけじゃなかったんだ。そういうの、好きでいてもよかったんだ。
そうして子ども時代からの積怨がやっと晴れ、ほんのり傷ついたさみしい感覚が救われるようなおもいが、ちょっとだけするのだ。
それにしても、秋! わたしの大好きな季節。
永遠に秋が続けばいいのに。
つぶやきメモのほうにも書いたけど、わたしはうつくしい秋に永久に囚われていたい。
終わらない秋のループにとどまって、死の季節である冬へと向かい、朽ちてゆく寂寞な景色を、その感傷を、ずっと味わい続けたい。
