ばらとコーヒー

アナクロな個人ブログ(日記)

自主的な選択かもしれない

さっきの記事で、「きょうびデカダンは流行らない」と書いて、ふとおもった。

わたしはじつは病気じゃなくて、『デカダン』という『生き方』を『選択』しているんじゃないのか……??

だから病気のひとたちと気が合わない(?)

うーん。どうなんだろう。じぶんでも書いててよくわからないけど。わかってないまま書く。

もしそうだとしても、わたしのその選択は、発達障害(というかASD)由来なところはありそう。(孤立型ASD?から来るもの?)

だとしたらわたしは少なくともうつのような気分障害に悩む必要はないんじゃないか。じぶんで生き方を肯定できれば……。

ともかくわたしはじっさい、じぶんのASD(アスペ)傾向をこれまでだいぶ軽視していたかもしれない。

わたしの問題の根本はもしかしてここにあるんじゃないのか。

わたしは過剰適応しようとしてきたし、ほかの顕著に障害のあるひとより「まとも」みたいな自己認識でいて、それで安心感を得ようとしてきた部分は正直ある。

でもそれはまったくそうじゃなかった。わたしは引きこもって他人との接触を絶つことによって、「じぶんはまとも」という幻想を守ったにすぎない。

ほんとうはわたしにも顕著に障害がある。

ああそれを、生き方とか、病気とかで隠して、見てみぬふりをしようとしていたのか。


……とにかく、わたしは、じぶんのことをちゃんと理解しないといけないんだ。

いまのわたしのやるべきことはそれ。

だからとにかく、おもったことなんでも書いてみよう。っておもった。

へたくそでいい。ただ言語化してみる。

変に中二だからって気取って露悪的にならず。でも正直に書く。

いまはまだわからなくっても、そうして蓄積したものが物語ることはあるかもしれない。

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書いてる人:amənɪːta

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