泣きながら生きたくない
きのうの夜はなぜか悲しくなってまた泣いてしまった。
夜寝るまえに泣くのはむかしからよくある癖?みたいなもの。
小学生のころからなにかがつらくって、というか世間に存在するあらゆるものがつらくって、親に気づかれないように布団のなかでシクシク泣いていた。
いまとなってはいったいなにが悲しいのかつらいのか、じぶんでもよく分からない。
過去のことかもしれないし、現在進行形でじぶんでも気づかないうちになにかがものすごくつらいのかもしれない。
じつはわたしはあまりよい環境で育っていなくて、トラウマ的なものもあったりする。
他人に言っても理解してもらえないような、もしかしたらなんてことない、ごく些細なことなのかもしれない。
でもわたしのなかでは傷になっている出来事がある。それは一度きりではなくて、何度も日常的にくりかえされていた。
そのことをおもいだしてつらい、というのもあるとおもう。
でも正直なところ、もはやじぶんでも泣いてる理由ははっきりとは分からない。
日々蓄積するちいさなストレスがうまく解消されないまま積み重なって閾値を超えると、泣きたくなるのかもしれない。
だいすきなYoutubeチャンネル、メゾン・クラシャン(Maison Crachin)さんがチャンネル開設1周年を迎えていた。
(自動翻訳で日本語字幕が出る)
この動画ではじめて知ったけど、このかたも『有害な環境で』育ったとのことで、おどろきとともにふしぎと納得もいった。
彼女の動画はやさしい。彼女はじぶんのことを『内向的』と表現することもあるが、たしかに激しい主張はなくって、そよかぜに乗せて胸のうちにそっと語りかけてくるかのよう。
だからわたしはこのチャンネルが好き。
さっき今回のこの動画を見て、ちょっとかんがえさせられるところがあった。
わたしはこれから先、いままでのようにシクシク泣いて生きたくはない。
なにかを変えてみようとおもった。
ちょっとしたことでいい。むりにガラリと変えるんじゃなくていい。ただ、手近で変えられそうな、ちいさなことを、ほんのすこしだけ。
そうしてわたしも彼女のように、悲しい過去の出来事に打ち勝っていきたい。
人生の最後に、ちいさなケーキと1本のろうそくで、みずからのささやかな勝利を祝えるように。
そんなふうに、これからは生きてみたい。
