愛されなくても大丈夫だと気づいた
最近は日記をアナログでつけていて、デジタルでブログに書くのがおろそかになっていた。
おなじこと2回も3回も書く意味ある??っておもっちゃって。
でもブログはブログで続けたいから、マイペースで書きたくなったときに書くかんじで、ゆるゆる続けていきたい。
今度開催される文具女子博のチケットを取ってしまった。
当日ちゃんと行けるかどうかは、まだ分からない。
ぎりぎりまで体調を整えたいとはおもう。チケット代をむだにしないためにも。
事業所のスタッフさんのひとりから嫌われてしまったかもしれない。
なにかひどい嫌がらせをされているとか、そういうわけではないんだけど、なんとなく最近当たりが強いなあとかんじることが増えて。
さいしょはいいひとだったんだけどなあ。
わたしがなにかしちゃったのかな?といろいろモヤモヤかんがえてもみた。
わたしはコミュ障なので、おもいあたるふしばかりで、それでいてこれといった大きな出来事があったわけではないとおもう。
うーん。人間てめんどう……。
わたしはアスペっ気が強いほうだから、ひととの毛繕い(世間話とか無駄な褒め合いとか)や感情的なやりとりって、ダルいってかんじてしまう。
そういうところが嫌われる要因なのかもしれない。
まあでも「嫌われたーぴえんぴえん」とどんなに悩んだり悲しんだって、ころりと好きになってもらえるわけでもなし、なにかが好転するわけでもないので、これからは開き直って生きようとおもった。
嫌われたっていい。
だれからも好かれるほうが異常なんだし。その必要はないんだよね。
と、逆になんだか割りきれた気がする。
いままでがむしろちょっと無理をしすぎていたかもしれない。
若いころは、ひとから愛されたくて好かれたくてたまらなかった。
愛されたらなにか変わる気がしていた。
嫌われたら死ななくてはならないとおもいこんでいた。
でもおとなになるにつれ、すこしずつだけど変化していった。
気づけばいまは、そんなに愛されたい・嫌われたくない、とはおもわない。すくなくとも昔ほどは。
それなのにまだ、ひとからの好意に、やたらすがる癖だけはしぶとく残っていた。
そういう、アンバランスな状態だった。
そうして過剰にいいひとぶったり。過度に愛想よくしたり……。
それはじぶんという生物にあった生き方じゃないのに、「そうしなければ生きられない」とおもいこんで、むりやりじぶんをねじまげていた。
それは卑屈な生き方だったかもしれない。
そういうのは、もういい。
これからは、もうすこしさっぱり生きられるかな。
愛されなくても、まあ、いいか。
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